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2008年7月6日日曜日

中世

529年、キリスト教会がギリシャ哲学に幕を引いた(アカデメイアが閉鎖された)。

以来、修道院が学問の伝授や思索や瞑想を一手に引き受けた。

ルネサンス(文芸復興)の人びとのイメージでは、中世はヨーロッパが古代とルネサンスのあいだ、真っ暗闇に包まれた1000年間の夜だった。

今でも、権威をかさに着た、融通のきかないものを「中世的」と表現したりする。
(まさしく、今の日本は、江戸時代の封建的な世界と変わり映えがしない。しかも、日本の内実は、江戸時代から大して進歩していない前近代国家に見える)

中世は、いわゆる封建制度が経済を支配する。封建制度の下では、少数の大地主が土地を所有していて、農奴はそこで働いてかつかつの暮らしをたてていた。
(日本では、荘園制から、幕府まで、いわゆる封建制度が幅を利かせた。明治維新で改革を試みたが、本質は大きくは変わっていない。とくに、人びとの精神構造は、現代国家の「市民」とは大きくかけ離れている)

ギリシャ哲学のその後は・・・

西ヨーロッパ ローマを中心とするラテン語のキリスト教文化圏 『ローマ-カトリック中世』
東ヨーロッパ コンスタンティノープルを中心とするギリシャ語のキリスト教文化圏 『ビザンチン中世』
北アフリカと中東 アラビア語のイスラム文化圏

これらに継承されたみっつの流れが中世の終りに北イタリアで合流して、大きな潮流になった。

アラブ人は、中世を通じて、生き生きとしたアリストテレスの伝統を守ってきた。そして、自然科学への問題への関心を新たに蘇らせた。

トマス・アクィナスは、アリストテレスの哲学とキリスト教を合体させようとした。信仰と知識を統合させようとした。キリストの啓示と生まれつきの自然な理性から到達できる「真理」があると考えた。
神に至る道には、信仰と啓示、理性と感覚の二通りがある。

青柳洋介

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